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2026年3月22日 説教要旨

  • 3月27日
  • 読了時間: 2分

晩餐の時に、主は「これはわたしの体です。これは、わたしの契約の血です。」そして、「罪が赦されるように、多くの人のために流される契約の血である」と言われました。周りには僅かな弟子たちがいました。けれども、その席で、主イエスは「あなたがたのために」ではなく、「ここにいる人々のために」でもありませんでした。主イエスは、この主の晩餐の席でも多くの人を招いておられます。この「多くの人のため」主イエスの十字架はすべての人を招いているのです。最後の席で、ご自分と共に歩んで来られた弟子たちにこのことを伝えられたのです。けれども、その直後に、あなたがたはみな散り散りになってわたしから去ってしまう。ご自分のいのちを与えたいと思った弟子たちは、それほど不確かな存在だったのです。私たちは皆、弱く不確かな人間であることを現しています。それでも、インマヌエル主イエスはこの晩餐において愛の宣言をなさいました。「あなたがたのためにわたしは死ぬのだ。わたしのいのちをあなたがたに託する。けれども、あなたがたは弱いのですぐにわたしから逃げてしまうでしょう。そんなことは分かっている。分かっているけれども、大丈夫だ。それでも、もう一度あなたがたを招きます。わたしはあなた方の先回りをしてガリラヤに行っているから、そこで再会しようではないか。」そう言われたのです。食卓とは、またガリラヤとは、私たちの生活の現場です。
私たちの弱さも何もかも御存じで、主の方で先回りしてくださると約束をしてくださったのです。

いつでも、どこでも、共におられるインマヌエル神が、主が断言しておられるのです。何回でも何回でも共におられる主が、私たちを赦され、神の国に向かって生きるようにと勇気を与えてくださるのです。まさに神の裁量(一方的な愛の赦し)です。この主の招きがあるからこそ、主イエスを捨ててしまった弟子たちはもう一度ガリラヤに行って、復活の主とお会いすることができたのです。私たちの信仰も同じではありませんか。何度でもつまずきながら、主を見上げる時、言い尽くせぬ神さまの恵みに心打たれるのです。

 
 
 

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