2026年1月25日 説教要旨
- aomori1879
- 5 日前
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終末の徴については、4節から14節までで7つのことが挙げられています。①偽物のメシアが現れること、②戦争が起きること、③飢饉が起きること、④地震が起きること、⑤迫害を受けること、⑥教会内部で分裂が起きること、そして⑦福音が宣べ伝えられることです。最後に神の恵みを示すものについて触れられているのが「福音宣教」です。「耐え忍ぶ」とだけ言うと、文字通りには「じっとする」ということかもしれませんが、終末の時代に生きる、実際上の私たちの動きとしては、もっと能動的なのです。今日の御言葉には、私たちの心を騒がせるような困難についても触れられてきましたが、実のところ終わりの時とは、恐怖のうちに来るのではありません。むしろ、福音宣教によって神の恵みと愛を拡大する、そのような喜びと希望の内に来るのです。
「耐え忍ぶ」という言葉は、ギリシャ語の文字通りには「下に、とどまる」という表現です。つまり、神さまが、ご自身の愛の下に私たちを集めようとされた、その下に留まるということです。神様の愛のもとにとどまる。主イエスの愛のもとに堅く立つ。外側からも内側からも困難に見舞われることがあるかもしれないけれども、そこで神さまの愛のもとに、主イエスのみもとにとどまり続けることが、私たちの救いのために最も根本的に大切なことなのです。その先に、大きな喜びがあります。終わりの時、神の国が完成する時に、みもとにとどまり続ける人には祝福が満たされるのです。
終わりはエンドではなく、完成です。神の国は突然に来るのです、信仰者はそれがいつ来てもいいように常に備えをするのです。み国は神から来ます。「その日、その時はだれも知らない。」(36節)のです。わたしたちができること、すべきことは、「み名をあがめさせたまえ、み国を来たらせたまえ」と祈ることはないでしょうか。


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