2022年4月10日 説教要旨
エルサレムの人々は棕櫚(なつめ椰子)の枝を道に敷き、また手にもって、振りながら、勝利の王としての主イエスを喜び迎え入れました。多くの 群衆は「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と喜んで叫びました。ホサナとは、ヘブライ語で、...
2022年4月3日 説教要旨
ゲッセマネの祈りは祈りの本質をおしえてくれます。「父よこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いおりではなく、御心のままに」「この杯」というのは、これから起ろうとしている主イエスの受難、十字架の死のことです。できることならそれをわたしから過ぎ去らせてくださ...
2022年3月27日 説教要旨
世の中にどんなすごい人がいても、どんな尊敬できる人がいても、どんなにカリスマ的な人がいても、それは、あくまで同じ人間の中で、優れているというだけです。しかし主イエスは違う。本当に「天のもとからおいでになった神の御子なのです」「そう信じて従っているのです」とペトロは答えました...
2022年3月20日 説教要旨
今日の話の要点は「マグダラのマリア」に対する神話や俗説を強化することではなく、ルカ福音書が報告している出来事の確認です。つまり、イエスの活動の最初期から女性たちも弟子となっていたという埋もれがちな事実の確認です。この出来事を確認することがわたしたちの教会形成にとって役に立つ...
2022年3月13日 説教要旨
「狭き門」と言えば、よく入試や就職のときによく使われているため、競争率がすごく高い、入るのに難しい難関の門を思い浮かべるでしょう。楽ではなく難しい苦労や困難を克服して入れる門を考えます。しかし聖書で語る「狭い門」とは、決して入り難い門ということではありません。それは入り難い...
2022年3月6日 説教要旨
「天に富を積む」という言葉はなかなかイメージしにくい言葉だが、「自分の存在が誰にも奪われない形で意味あるものになる」「存在そのものに意味があるように生きて行くこと」と言いかえるとどうでしょうか?英語で言うならto haveという所有することで自分の存在価値を確認するのではな...
2022年2月27日 説教要旨
私たちが唱えている「主の祈り」には、最後に「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」という言葉があります。この部分は、後になって主の祈りに付け加えられたものであり、歴代誌上29章11節を典拠にしていると考えられています。「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたの...
2022年2月20日 説教要旨
私たちが祈る主の祈りでは「悪より救い出したまえ」「悪」となっているところが、マタイ福音書では「悪い者から救ってください」と訳されています。「悪」という事柄か、あるいは人格的な存在を表すような「悪い者」は、前半の「誘惑」「試み、試練」ということとのつながりで考えれば、何か自然...
2022年2月13日説教要約
私たちが祈り慣れているのは「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ」(文語訳)ですが、マタイによる福音書6章に記されている「主の祈り」は「わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」となっています。マタイ福...
2022年2月6日説教要約
「糧、かて、食物、パン、食べ物」と訳される「アルトス」は、サタンがイエスに「これらの石がパンになるように、命じたらどうか」(マタイ4:3)と言ったところの「パン」です。またイエスが「パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか」(同7:9)と言った「パン」のことです。五千...