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9月3日の主日礼拝メッセージ(要約&動画)を更新しました。

  • 平松牧師
  • 2017年9月3日
  • 読了時間: 2分

【同時に希望もある】

聖書 ローマの信徒への手紙8章18−25節

抜粋《被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。》

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 神は私たちを、希望、期待、そして忍耐をもって見守っておられる。イエス・キリストの十字架により罪から解放してくださったからである。ローマ8:3【肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。】とパウロは綴る。

 そして彼はイエス・キリストの復活による永遠の救いを語り(8:11)、こう宣言した。【神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです】(8:14)、【神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです】(8:17)と。

 だからこそ【現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない】と言う。神との正しい関係が断ち切られて虚無に服していたとしても、そこにも神の意志が働いている。それゆえ【同時に希望も持っています】と、確信を持つことができる。

 たとえ「現在の苦しみ」があっても、産みの苦しみを味わいながらも、うめきながらでも、イエス・キリストによって“霊”の初穂をいただいているからこそ、救われることを待ち望むことができる、とパウロは教える。信じるところに救いがあるのである。

 アブラハムは【希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ(た)】【神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していた】という(ローマ4:18)。私たちも【目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望む】という生き方を選ぶことができれば。

(2017年9月3日主日礼拝)

【動画】

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