2025年8月3日 説教要旨
- aomori1879
- 8月3日
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出エジプト記20章以下の十戒の中で、神は「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と命じられます。「主が六日間で、天と地と海とまたそれらそこにあるすべてのものを造り、七日目に休んだからである」と記します。不思議な理由ですが、「神のかたち」に創造された者は、この神の七日の創造のリズム、神の生き方に倣うべきなのです。これはいのちのリズムです。神は創造のみわざを終えた翌日の「第七日目を祝福し、聖とされた」(創世記2:3) とは、ご自身の働きを喜び祝うことに専念されたという意味です。
皆さんは登山が好きでしょうか。山登りに例えると、安息日は山の頂上で、大きな休みを取り、景色を眺め、食事を広げ、喜び祝うようなものです。ところがそこで働きを振り返って「休む」こともできずに、次の下山の心配ばかりするとしたら、どこに山歩きの喜びがあるでしょうか。私たちは「休み」をとって初めて、自分の歩みが、主によって支えられ、守られてきたことに気がつきます。しかも、そこで自分の歩みを励まし続けてくれた目に見える同伴者の存在を喜ぶことができます。安息日とは、まさに神と人との交わりを喜ぶ日なのです。自分のいのちの在りかを振り返り、神のふところの中で休み喜ぶ日なのです。そこで「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5) という命令が実践されています。安息日の規定を形式どおりに守るのではなく、本来のいのちの在りかを喜ぶ日として回復する時なのです。だからそこに手の萎えた人のいやしが起こります。麦の穂を摘んで食べる喜びが語られるのです。
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