2025年7月20日 説教要旨
- aomori1879
- 4 日前
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ここには二つの招きがあります。その一つは「わたしのもとに来なさい」という招きであり、もう一つは「わたしに学びなさい」という招きです。それぞれの招きに対して休み、安らぎ、つまり神の安息が約束されています。「すべて疲れた人、重荷を負っている人」とは、当時の主イエスの弟子たちのことです。当時「重荷を負わせ」て「疲れ果てる」まで押しつぶす人たち、特にファリサイ派の人たち(律法純粋主義者)がいたことです。彼らはモーセの掟を守らないと救われないと考え、人にもそのように教えながら、当時の人々に「重荷を負わせ、圧し潰そう」としたのです。それだけでなく、律法を守れない人々を「地の民」と呼んで軽蔑したのです。そのような人は「自分は到底救われない」「神は私を見放した」と絶望するように彼らによって思わされていたのです。しかし、律法を遵守することではなく、主イエスに向き直ることで、「わたしがあなたがたを休ませてあげます」と約束されたのです。さらに主イエスが神のくびきを共に負っているように、あなたがたも、わたしのくびきを共に負いなさい、そうすれば平安をえられる、主イエスが父なる神さまといつも共におられたように、あなたがたもわたしに学びなさいとおっしゃるのです。花婿と花嫁がいつも喜びにあふれ共に歩むように生きなさいということでしょう。信仰の創始者であり、完成者である主イエスにいつも目を注いで、地の民を「深く憐れまれる」(マタイ9:36)キリストの愛にならい、現代の私たちも、主イエスの「くびきを負うことの心地よさを、楽しさを、麗しさを」日々経験していきたいと思います。
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