2022年12月18日 説教要旨
救い主イエス・キリストは三日目に死人のうちからよみがえられました。このキリストの復活を信じることがキリスト教信仰の中心にあります。しかし、いつの時代でも復活を信じるこは困難な信仰告白でした。神さまの神秘だからです。(51節)主イエスの死後、逃げ出していた弟子たちがなぜ再び集...
2022年12月11日 説教要旨
主イエスは、その陰府の苦しみの中でなお御父を信頼することに固く立ち続けられました。御父は、そのキリストに栄光を与えて、復活させられました。死は勝利に飲み込まれたのです。主イエス・キリストに結ばれた者にとって、死と滅びの世界はなく、陰府の世界もすでにありません。キリストにあっ...
2022年12月4日 説教要旨
主イエスは十字架上で「成し遂げられた」と言って、息を引き取られました(ヨハネ19:30)。神の刑罰はすべて終わったのです。葬られて肉体は塵に返りますが、同時に、神の憐れみが明らかにされます。父なる神は、御子イエス・キリストのお体を放置することをよしとされず、葬りのわざにおい...
2022年11月27日 説教要旨
使徒パウロは、十字架は「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」(23節)だと指摘しました。私たち人間の普通の感覚、一般的な常識に基づくならば、十字架は愚かなことであり、またつまずきの原因にほかならない、ということです。...
2022年11月20日 説教要旨
主イエスは「ポンテオ・ピラトによって」苦しみを受けたのではないのです。悪魔のようなポンテオ・ピラトによって、十字架につけられ苦しんだのではなく、「ポンテオ・ピラトあくのもとで」苦しみを受けられたのです。ピラトのもとに、何があるのでしょうか?時のユダヤの権力者たち、祭司長、律...
2022年11月13日 説教要旨
おとめマリアより主イエスは生まれました。この「処女降誕」に代表されるように、聖書には私たちがなかなか信じることのできない奇跡がいくつも語られています。それらをどう受け止めるかは、聖書に基づく信仰の一つの大事な課題です。これらの奇跡話を単に神話としてとらえるのではなく、それぞ...
2022年11月6日 召天者記念礼拝
人はなぜ「永遠の命」を求めるのでしょうか。もちろん、死を恐れて、死から逃れたくて、永遠の命を求めるのかもしれません。しかし、私たちの人生には苦しみや悲しみがつきまといます。永遠の命とは、ただ永遠に生きることを求めるのではなく、真実にはもっと違うものを求めているのではないでし...
2022年10月30日 説教要旨
聖霊によりてやどり」この言葉が主イエス・キリストの地上のご生涯の最初に置かれており、主イエスが聖霊の御力の中で地上の歩みを始められ、聖霊の御力の中でその生涯を歩み抜かれたことを意味しています。たとえば、主イエスは公生涯の初めに荒れ野で悪魔からの誘惑を受けられました。しかし「...
2022年10月23日 説教要旨
「イエスは主である」とは、もっとも簡潔な信仰告白として、新約時代から用いられてきた表現です。「イエスは主である」と告白することが信仰の始まりであり、日々の信仰の目標であり、人生の目的だと言えます。主イエスが神に等しい方であるにもかかわらず、へりくだって人となり、さらに父の忠...
2022年10月9日 説教要旨
使徒信条の第二項は「我はイエス・キリストを信じる」であり、この方が信仰の対象であり目的でもあるのです。「父のふところにいる独り子である神」(1:18)と告白されています。ひとり子なる主イエスは、父なる神と本質を同じくする神であるということです。人間から生まれた子が人間である...