2022年2月20日 説教要旨
- aomori1879
- 2022年2月20日
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私たちが祈る主の祈りでは「悪より救い出したまえ」「悪」となっているところが、マタイ福音書では「悪い者から救ってください」と訳されています。「悪」という事柄か、あるいは人格的な存在を表すような「悪い者」は、前半の「誘惑」「試み、試練」ということとのつながりで考えれば、何か自然の災いというようなことだけではありません。私たちに働きかける悪しき力、聖書に出てくる悪魔、あるいはサタンという言葉で言い表されているものでしょう。私たちに攻撃をしかけてくる悪しき者、その存在からの誘惑、誘いから守られること、それを天の父なる神さまに祈り願う祈りが、最後の祈りの部分です。悪しき者からの誘惑、誘い。それは、神の御心に逆らうこと、聖書が罪と呼ぶものへの誘惑、私たちが神に背を向けてしまうこと、神を信じ、信頼することをやめてしまうこと、神さまから離れてしまうことへと誘惑する。それが、悪しき者の働きだと言えます。主イエスも私たちと同じように悪魔と天使とのせめぎ合いを体験されました。神の子だから悪魔からのどんなそそのかしも通じず、超然としていたのではないのです。 神の子だからこそ、悪魔はものすごい力で主イエスを悪に引き込もうと働きかけました。その悪魔と真正面から戦うことなしに、神の国の福音を宣べ伝えることはできない」と心決められて、主イエスは荒れ野に出て行かれたのです。(マタイ4章)食べ物への誘惑、宗教的な英雄になることへの誘惑、権力・繁栄への試みを受けられ、克服されました。主イエスのご生涯全体が、絶えざる誘惑との戦いの中にあったご生涯であったとも言えます。私たちが生きるその中で、受ける誘惑のすべてを主イエスも知っていてくださる。弱き私たちの祈りの中で、主は先頭に立つようにして、すべての誘惑を退けて、神の御心に従い抜く私たちの歩みを全うしてくださるのです。
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