2020年5月3日 説教要約
- aomori1879
- 2020年5月2日
- 読了時間: 2分
全世界が新型コロナウイルスのパンデミック(世界流行)により、かつて経験したことがないような大きな悲痛と苦悩の中にあります。簡単に終熄する気配がありません。不安でしかたがありません。教会も大きな試みの中に置かれています。教会とは元々「集う」という言葉から由来していますが、まさに今、礼拝のために同じ所に集うことができないという状態におかれています。 しかし、今朝、聖書の御言葉に深く聞きましょう。主は「復活され」弟子たちのもとを「訪れられ」、「真ん中に立ち」「平和があるように宣言された」のです。弟子たちは身の危険を感じ周囲を恐れ、家に鍵をかけて閉じこもっていました。この弟子たちの姿に、いま全世界中で恐怖に陥っている多くの人々の姿を重ねてみることもできます。主は復活され、弟子たちの家を訪ねてくださいました。今朝も、一人ひとりの家を訪ねられる主に感謝しましょう。私たちが祈り求めるところに、必ず主が訪ねて来られます。不安や乱れた心の中に、「平和」を求め祈る心に、必ずキリストの平和が注がれます。ヨハネ福音書では特に「平和」が主の復活の出来事と深く関わりをもっています。平和とは赦しの平和です。最後の土壇場で主を捨てた弟子たちですが赦されています。十字架の死よりよみがえられた主イエスが、すべての弟子たちを愛をもって赦されておられる。平和の宣言とは、愛と赦しの宣言なのです。神さまの目から見て、どんな人でもかけがえなく貴い存在です。貴い命です。決して失われはならない存在(いのち)です。手と脇腹の傷跡を見せながら、わたしはあなたがを愛している、そう語ってくださったのです。この愛と赦しの声こそが、私たちに生きる力を与えてくれます。私たちに再び立ち上がってゆく力を与えてくれます。復活の主と共に生きる真の喜びを与えてくれます。復活は神の国の始まりです。主の復活は、神さまの新しい創造によって始まりました。そして弟子たちも聖霊で新しくされました。私たちも新しく創造されねばなりません。「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2:7)今朝も復活の主と出会い、その御言葉に出会い、わたしたちも信仰によって新しくされましょう。キリストこそがわたしたちの平和です。平和の福音を告げ知らせる主のしもべとならせてください、と祈りましょう(エフェソ2:17)
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