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2022年2月13日説教要約

  • aomori1879
  • 2022年2月13日
  • 読了時間: 2分

私たちが祈り慣れているのは「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ」(文語訳)ですが、マタイによる福音書6章に記されている「主の祈り」は「わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」となっています。マタイ福音書では、罪ではなく負い目です。これは、オフェイレ―マというギリシャ語ですが、負債とも訳されます。負い目、負債は罪とは少し意味合いが違います。原文では、われわれの諸負債を赦してください、が先に記されています。神さま、赦してくださいが先に祈られているのです。そのあとに、そして、またわたしたちもわれわれに負い目のある人々を赦します、なのです。大切なことは、我々の赦しに先立って、神さまの赦しが先にあることです。  

 そのことをはっきり知ることができるのが、マタイによる福音書18章です。例えば21節以下において、ペトロは、わたしの兄弟がわたしに罪を犯したなら、何回赦すべきか。7回までですか、と尋ねました。イエスさまは7回を70倍するまで。とおっしゃいました。1回、2回・・・490回と数えるのではなく徹底して赦せというのです。そして、天の国はこのようなところだ、とおっしゃって1万タラントンの負債を帳消しにされた家来のたとえ話しをされました。神さまの前での負債はそれほど大きいものであるにもかかわらず、そうした私たちの負債を、主君である神さまは、はらわたを揺り動かして赦してくださるのです。けれども、大きな罪を、負債を、赦された私たちが、他者の負債を赦せないとしたらたどうでしょうか。しかしこれが私たちの現実でもあるのです。他人を赦すことは難しいのです。主の祈りを心から祈るのは難しいのですが、主イエスが共に祈ってくださるので、その通り私たちも祈ることができるのです。すでに神さまの赦しの恵みの下に生きていることを深く黙想しましょう。

 
 
 

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