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2025年11月23日 説教要旨

  • aomori1879
  • 10 時間前
  • 読了時間: 2分

「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」(創世記2章15節)。

「耕す」という言葉は、もともと「奉仕する」という言葉から来ています。エデンの園では、何もしなくても、食べることに不自由しなかったかもしれませんが、神は人に奉仕させることで、より幸せな毎日を送ることができるようにされたのです。考えてみますと、人間以外の動物が土を耕し、種を蒔き、育て、刈り入れることはありません。人間だけが種から育て、その実りの収穫を喜んだり、花の美しさを楽しんだりすることができるのです。エデンの園は喜びの園という意味です。

注目しなければならないのは、3章以下、人は罪の結果、土が呪われてしまったわけですが、それでもなお、土に種を蒔けば、芽を出し、成長し、豊かな実を実らせるという事実です。土を耕すというのは、生きるということの象徴でもあります。人生には苦しいこともたくさんあることでしょう。しかし、その中で、神の命に触れる瞬間や感動もあるはずなのです。
そのとき、土くれに過ぎないこの私を、命がけで愛して下さっている主なる神がおられることを知るのです。

聖書では、この「土」を巡って物語がさまざまに展開していきます。土から創られた人は、自分自身の源、素材である「土」を耕し、大地を守る者となります。16節「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい』」。耕すことによって、自らの命を支え、養う糧を得、生きる術を得ることができるようになるのです。そしてさらに、18節「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」。即ち、人はひとりで生きるのではなく、共に生きる存在、社会を形づくって生存してゆく、と語られる。「彼に合う、助ける者」「向かい合い、そばに寄り添い、共に働き、労する者」という意味である。人間の生活の営みは、すべて「土」に収斂すると語るのです。私たちは大地の守り人、被造物に仕える者、神と共に創造の業に仕える者として招かれています。さらに私たちは安藤昌益の「直耕」を思い起こします。

 
 
 

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