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2023年12月3日 説教要旨

主イエスによって12人の弟子たちが選びだされました。しかし選びということで聖書が強調するのは、あくまでも救いがその人の功績や力によるのではなく、神の愛と慈しみによるものだ、ということです。そうです。12人の弟子たちは人間的に見て何か優れた点があったわけではありません。むしろ、無学な人や当時、軽蔑されていた人たちが選ばれたのです。神の選びにはいつも「使命」が伴います。選ばれた人はすべての人の救いのために働くのです。「自分のそばに置き」ます。主イエスが弟子たちに求めておられることは、何よりもまず、主イエスのみそばに座って、そのみ言葉に聞き入ることであり、主イエスと<いのちの関係>を保ち続けることなのです。そして神の国「宣教のために遣わすことでした。「そばに置くこと」と「宣教に遣わすこと」とは、あたかも車の両輪のように、どちらが欠けても、その目的を達成することが出来ない、密接な関係を持っています。神から選ばれた者は神から遣わされた使命を果たすことが人生の目的となるのです。この世のすべてのクリスチャンは主のよって召された者、主のものとされた者たちです。この世のクリスチャンは主の弟子たちのように「使徒」と名付けられる者なのです。現代の日本の教会の状況をみると、この真理はますます強く意識されるべきではないでしょうか。新しい革袋に新しいぶどう酒、つまり生きて働かれる主イエスを受け入れましょう。

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