2025年8月31日 説教要旨
- aomori1879
- 8月31日
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バプテスマのヨハネが処刑されたという報告を聞き、イエス・
キリストは父なる神に祈るために、静かな場所へ弟子たちと舟で向かいました。しかしその場所にも群衆が集まってきたので、イエス様は祈りの時を後にして病人を癒し、集まった群衆すべてに食事を提供されました。五千人の給食のエピソードです。群衆は偉大なしるしに興奮し、イエス様を王として担ぎ上げ、連れて行こうとしました。(ヨハネ6:15)しかし、主イエスはその群衆をなだめ、弟子たちを舟に乗り込ませて、群衆に解散を命じられました。そして一人山に登り、祈られました。偉大な預言者ヨハネの死を悼み悲しむため、慰めと励ましを受けるため。これから何を成すべきか、その導きを求めるためかも知れません。
しかし、福音は前進します。弟子たちに舟に乗り「向こう岸へ渡る」ことを命じられます。初代教会の人々は、このペテロたちが乗っていた船を「教会」と受け取りました。たとえば教会によっては、教会堂の中の長椅子を置いてある会衆席のことをnaveネイブと呼んだりもします。ネイブというのは英語でもともと舟を意味します。つまり、教会は、イエス様を船頭として進んで行く舟なんだ、ということを表しているんです。もちろん教会堂の建物のことではありません。主イエはスを信じる人々の群れのこ
とです。時として教会は、大嵐に遭い、木の葉のように翻弄され
る。そんな中で、キリスト者たちは、「主よ、助けてください。私
たちは沈みそうです。」と叫び声を上げました。けれども、迫害の
手を逃れてようやく礼拝にやってくる、その時にこのマタイの福
音書が朗読されるのを聞いて、ああこの教会という舟には、そし
て沈みそうな私には、主イエスの御手が伸ばされている。そして
私を、またこの教会という舟を終わりの日まで守り続けてくださ
る。この教会という舟に、主イエスはいつも共におられるので
す。私たちも主が示されるまま、向こう岸と渡りましょう。主が
いつも共におられることを信頼して。
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