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2025年8月24日 説教要旨

  • aomori1879
  • 8月25日
  • 読了時間: 2分

五千人給食のエピソードです。主イエスのもとに集まった多く人々は腹を空かせていましたが、弟子たちの手元にはたったのパン五つと魚が二匹しかありませんでした。主イエスはそれをもって来させ、人々をまず草の上に座らせ、共に天を仰ぎます。人々を草の上に座らせることは、さまざまな聖書の箇所をイメージさせます。出エジプトした後の荒野におけるマナの話し(出エジプト記16章)や詩編23編などが代表的な箇所です。また「座らせる」という言葉には、祝宴の席に着かせるため横にならせるという意味(当時の食卓につく姿勢)があるとも言われます。天の国での食卓につく姿勢をとらせたのでしょうか。一体、どのようにして多くの人々が満腹できるのか詮索する前に、私たちも草の上に座って静かに黙想してみましょう。

八木重吉の詩に「草に すわる」という有名な詩があります。

わたしの まちがいだった

わたしのまちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる (『秋の瞳』から)

 

「わたしのまちがい」とは、具体的に一体どのような間違いなのかはよくわかりません。詩人の谷川俊太郎はこの重吉の詩の息づかいに呼応して、『間違い』という詩をこう続けています。

そんなにも深く自分の間違いが

腑に落ちたことが私にあったか

   草に座れないから   まわりはコンクリートかないから

私は自分の間違いを知ることができない

    たったひとつでも間違いに気づいたら

すべてがいちどきに瓦解しかねない

椅子に座って私はぼんやりそう思う

 

草の上に座ると、その草の匂い、感触、草の静けさ、あたたかさ

が伝わってきます。自分も草のような自然の一部であり、神のみ

にのみ信頼して生きる存在であることに気づかされます。自然

の恵みに満たされ、心身が新鮮になる不思議な力をいただけるの

ではないでしょうか。

 
 
 

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