2025年8月17日 説教要旨
- aomori1879
- 8月22日
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「毒麦」「からし種」「パン種」のたとえはどれも、地上に置ける「天の国」がどのようなものであるかを教えています。からし種は、一粒の直系が1mmに満たない小さな種ですが、成長すると2~4m程の高さになるといいます。このたとえ話の焦点は、畑に蒔かれた時の最初の種の姿と、それがやがて成長した後の姿との落差にあります。天の国もまた、今私たちの目に見えている姿と、将来の姿との間には大きな差があるのです。
「パン種」はパン生地を発酵させるイースト菌のことですが、ほんの僅かの量のパン種であっても、大量の生地に影響を及ぼすことが出来る力を持っています。さらにパン種は生地の中に混ぜられることによって、人の目からは隠されて見えなくなりますが、静かに深く生地全体に影響を及ぼしていくのです。天の国もそのように、人々の目からは存在や働きが隠されているけれども、それは静かに深く成長し広がっていくのです。「からし種」や「パン種」が持つ力の源は、どちらも命を持っているという点にあります。たとえ今、目に見えている姿が小さく、みすぼらしくても、本物の命が宿っているなら、それはいつの日か大きな実りへと成長していく力を秘めているのです。あきらめず福音の種をまき続けることです。
日本の教会は、その殆どが小さな集まりです。そして教会員の減少や超高齢化といった課題に直面しています。しかし教会にとって大切なことは、会員の数や献金の額といった、目に見える姿によって決まるのではありません。本当に大切なのは、そこに命が宿っているということです。伝道をあきらめてはいけません。自分一人で何もできないとあきらめてはいけません。「ハチドリのひとしずく」のたとえを聞いたことがあるでしょうか。地球温暖化、戦争、飢餓、貧困など私たちの世界は深刻な問題でいっぱいです。しかしさらに深刻なのは、「自分にできることは何もない」とあきらめ、無力化に陥ることです。しかしハチドリのように自分にもできることがあると思えれば、希望の道がおのずと開けてくるのではないでしょうか。「ハチドリのしずく」の例えのように、決して諦めないことが、人類の未来を支えてきたのではないかと思われます。
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