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2023年4月30日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年4月29日
  • 読了時間: 2分

イエス様が十字架上で最後に大声で叫ばれました。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)そのあと神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けました。それを一部始終見ていた現場責任者の百人隊長は、主イエスが息を引き取ったのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言うのです。この言葉(信仰告白)に、ある意味で、四つの福音書のすべての結論が集約されているように思われます。この「垂れ幕」は、聖所と至聖所を隔てるものです。至聖所とは、大祭司が一年に一度、イスラエルの民の罪を贖う贖罪日にのみ、入ることが許されていた特別な場所でした。その「垂れ幕」が上から下まで裂けたのは、私たちの救い主であられるイエス・キリストが、ご自身を十字架によって、罪の贖いの捧げ物として捧げられたためでした。すべての国民の贖いがイエス・キリストの死によって、すでになされ、完了されたのです。ですから、聖所と至聖所を隔てる「垂れ幕」は必要なくなったのです。神と人々を分け隔てる幕、イスラエル・ユダヤ人とその他の国民とを分け隔てる幕、すべての民族、男女、宗教を分け隔てる幕がキリストの十字架によって取り払われたのです。三日目の主のご復活はすべての人々の新しいいのちの象徴です。主による新しいいのちの創造のみわざでもあります。

十字架の時、全地が暗くなりました。そして主が大声を出されました。『創世記』の出だしと何と似ていることでしょう。

じっとその十字架を目撃していた百人隊長がなぜ、このような信仰告白をしたのでしょうか。合理的な説明は一切ありません。しかしよくよく考えてみると、理由がないのももっともなことだと思います。私たちも信じて洗礼を受けた者に、なぜあなたは信じて洗礼を受けたのか、合理的な説明を求めても、納得するような答えは返って来ないでしょう。自分自身ののことも合理的な説明ができないはずです。ただただ、上からの新しい創造の恵みに感謝するのみです。こうして、あたらしい命に生かされていることを感謝するのみです。

 
 
 

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