2025年3月16日 説教要旨
- aomori1879
- 3月16日
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この礼拝に集められている私たちは、山の上で腰掛けられた主イエスに近寄って、その周りに腰を下ろした弟子たちです。そして主イエスの教えを聞く山上は、正に今私たちが守っているこの礼拝のことです。礼拝において私たちはキリストの弟子として呼び集められ、主イエスの後に従っていくために、このお方の教えに真剣に耳を傾けるのです。これから主イエスは、山上の説教の御言葉を通して、私たちの心にも、新しい神の民の律法を刻むために、口を開いて語りかけようとしておられます。主イエスに大胆に近づき、その幸いな御言葉に聞き続ける私たちに、主イエスは今朝も「幸いな者よ、天の国はあなたがたのものだ」と語り掛けてくださいます。混沌の中で苦しみ、傷つきながら、なお神さまを熱望し、この世で神さまの御心(公正と正義)が行われることを切に祈る人たちへの祝福の言葉です。それと共に、神さまは今も世界を創造し続けておられ、天の国をこの世にもたらす、という堅い約束でもあります。だから主イエスはおっしゃるのです。「あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」
神から遠く離れて、神に逆らい罪ある者の道にとどまっていた私たちが、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむようになり、神さまとの真の愛の関係を取り戻すことが出来る時、それに勝る幸いはありませんか。その時、私たちは貧しさの中にあっても、悲しみの中にあっても、あるいは迫害の中に置かれても、そこで「幸いなるかな」という主イエスの祝福の言葉を聞くことが出来るのですから。
確かに、常識的な理性や自力の信仰によっては、ここに書かれている約束をにわかに信じ従うことは出来ません。しかし、主イエスを信じて、このお方に従っていく時に、主は私たちに神の霊である聖霊を豊かに注いでくださり、主イエスの教えに生きる新しい神の民の姿に変えられてくださるのです。
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