2025年3月23日 説教要旨
- aomori1879
- 3月23日
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「主に従うことは、なんとうれしいこと」(讃美歌507)ガリラヤ湖で主イエスに出会った4人の漁師たちはその出会いのあまりの喜びで、生活をそのままに残し主に従いました。その教えや人々の病や患いをいやされた多くの民衆も主に従いました。皆、わくわく感にあふれ満ちていたのでしょう。この世が、不平、不満、文句、うわさ話、恥ずべきことば、とりとめのないことば、おごったことば、そしり、ねたみ、怒りや不条理であふれていても、主イエスを結びつき信じることで世の中が変わって感じられ見えてくる。いつも、塩で味付けされた快い言葉で語り、一人一人にどう答えるべきかがわかってくるのです(コロサイ4:6)ご主人が悪いとか、職場の人が悪いとか。周りの人が悪いから自分がこうなっている、と暗闇に巻き込まれたままで、結局どこかで光を灯そうとしない限り、暗闇は無くならない。暗闇をなくそうと思ったら、電気をつけるだけなんですよ。手元の小さなロウソクでもいいのです。その場を灯すことができる。主イエスは、「地の塩、世の光になりなさい」努力しなさいと命じているのではありません。そのうち「地の塩、世の光になるであろう」と期待しているのでもありません。すでに主に出会いわくわくしていれば、そのように新しく喜びで生きるようになれば、あなたがたはすでに「地の塩、世の光です」と仰せられたのです。出会いに感謝、すべてに感謝、感謝することで生き方の向きが変えさせられ、自然とクリスチャンとしてのライフ・スタイルが変えられていくのでしょう。
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