2025年4月6日 説教要旨
- aomori1879
- 4月7日
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神の国(天の国)の住民にふさわしい者は、「天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」という教えです。道徳において完全でありなさいという意味ではありません。天の父のご性質とは、すべての人間に対する恵みにおける「公平の完全さ」です。悪い人にも良い人にも、正しい人にも正しくない人にも、分け隔てなく、「太陽を上らせ、雨を降らせてくださる」という公平さです。だとすれば、自分を愛してくれる者だけを愛したり、自分の兄弟にだけあいさつしたりするということは、取税人でも、異邦人でも同じことをしており、それは何もすぐれたことをしているわけではないと主イエスは語っています。むしろ自分の枠を越えて愛を注ぐことが、天の父の子としてふさわしい者であると語ります。これが「完全でありなさい」という命令の意味するところです。 つまり、すべてを覆う(overall)ような、すべてを包み込む(all-including)ような、天の父の心と同じ愛の広さが求められているのです。当時のユダヤ人たちにとってこの教えは、きわめて衝撃的な教えでした。「完全さ」は神さまへの全き信頼、帰依、神さまへの純粋な愛を示唆します。、
マタイ19章16節以下のエピソードを参考にしてみましょう。主イエスは求道する金持ちの青年に対して、次のように言われました。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」「完全な者となる」ことを妨げている原因の一つに、富という財産が「偶像」になっていると指摘されました。まことの神以外のものに執着することが「偶像」の本質でした。現在の私たちにも同じことが言えます。神以外のもの(財産、地位、社会的立場、プライド、影響力ある人間関係など)に心とらわれてはいないでしょうか。父なる神さまだけにより頼んでいるでしょうか。
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