2025年3月9日 説教要旨
- aomori1879
- 3月9日
- 読了時間: 2分
20節には「二人はすぐに網を捨てて従った」とあります。網は漁師にとって、とても大切なものです。網は漁師にとって自分の仕事や人生、生活を象徴するものです。聖書によれば弟子はそれをきっぱりと捨てたのです。この個所からでしょう、神さまに従う時には、たくさんのもの、すべてのものを捨てなければならない、信徒や献身者はそう言われることが多かったのではないでしょうか。しかし神さまに従うとは本当に捨てることなのでしょうか。信仰とはいままでの所有をすべて捨て従うことでしょうか。実は20節の「捨てる」と22節の「残す」は、どちらも同じギリシャ語が使われています。新約聖書に150回ほど登場するよく使われる言葉ですが、「捨てる」という意味と「残す」という意味の両方を持ちます。ですから「網も舟も父もそのまま残して従った」そのような翻訳がよいのかも知れません。重要なことはイエスに従うということです。生活の優先順位といってもいいでしょう。イエスの後に従い、「まねる」ことで私たちは新しい関係つくりが、新しい価値観が築かれていきます。生活の向きをかえる、立ち帰ることで私たちは新しい自分自身をもまた発見していきます。
私たちは家族や仕事あらゆるものとの関係を捨てて、礼拝に来たのではありません。私たちは家族や友人や職場での新しい関係を願って、でも今日はそれを残して、今日この礼拝に集ったのです。
最新記事
すべて表示17節は主イエスの時代のラビ(教師)たちの表現です。「あなたは律法を廃棄している」それは「あなたの解釈は律法の意味を弱めている、あるいは、緩めている、破壊している」ということであって、あなたの解釈は正しい解釈ではないという意味だということです。反対に、「わたしは律法を成就し...
「主に従うことは、なんとうれしいこと」(讃美歌507)ガリラヤ湖で主イエスに出会った4人の漁師たちはその出会いのあまりの喜びで、生活をそのままに残し主に従いました。その教えや人々の病や患いをいやされた多くの民衆も主に従いました。皆、わくわく感にあふれ満ちていたのでしょう。こ...
この礼拝に集められている私たちは、山の上で腰掛けられた主イエスに近寄って、その周りに腰を下ろした弟子たちです。そして主イエスの教えを聞く山上は、正に今私たちが守っているこの礼拝のことです。礼拝において私たちはキリストの弟子として呼び集められ、主イエスの後に従っていくために、...
Comments