2025年3月2日 説教要旨
- aomori1879
- 3月5日
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旧約聖書から新約聖書まで、「悔い改める」という言葉は、日本語の聖書訳では150カ所で使われています。この「悔い改め」という言葉は新約聖書ギリシャ語の「メタノイア」の訳語です。主イエスが当時、実際に使ったアラム語(ヘブライ語)の「シューブー」に当たります。これらはどちらとも向きを変える、方向を変えるという意味です。悔いること、後悔することという意味はありません。主イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と福音、つまり良い知らせを伝え始められたとき、この「悔い改め」のメッセージでスタートしました。悔いること、後悔することは、良い知らせではありません。主イエスは「(神さまに)向きを直す、向きを変えれ」という意味です。主イエスが伝える福音、良い知らせとは、全く新しい選択があることです。後悔すること以外の選択がある。もはや悔いることをしなくてもいい、これこそ、良い知らせです!後悔は自分の様々な過去に縛られます。向きを変える時、自分の現在と未来に希望が見えるのではないでしょうか。後悔は悲しむことに基づきますが、向き直ることは、喜ぶことに基づきます。
後悔することは、自分中心ですが、向き直すことは、主イエス中心です。後悔することによって、人々は心が病みますが、神に向き直すことによって、解放されて、心が癒されます。悔いることは、毎日できない。向きを直すことは、いつでもできる。自分の悪いところに目を留めているから、自分の失敗、自分の弱さ、自分の罪、自分の足りなさに、目が留まる。向きを直すことは、自分から目を離して、イエスに目を留めることです。自分の足りなさではなく、イエス様の満ちあふれる、いつでも、どこでも、足りている十字架の恵みと憐れみに目を留めることです。向き直ることで、天の国は私たちの間にあるようになるのではないでしょうか。
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