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2022年10月23日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年10月25日
  • 読了時間: 2分

「イエスは主である」とは、もっとも簡潔な信仰告白として、新約時代から用いられてきた表現です。「イエスは主である」と告白することが信仰の始まりであり、日々の信仰の目標であり、人生の目的だと言えます。主イエスが神に等しい方であるにもかかわらず、へりくだって人となり、さらに父の忠実な僕として十字架にかかってくださったゆえに、今でも私たちすべての者が「イエス・キリストは主である」と告白して主をほめたたえるのです。「主」とは、イエス・キリストが私たちの主人、所有者であることを意味します。私たちの命も含め全てのものが主のものだと言われると、納得できない信徒がいるかも知れません。けれども、この主人(所有者)は、詩編23編に示されるとおり、憐れみ深い羊飼いであるお方です。

ここに大きな発想の転換があります。私たちは、多くの場合、自分が自分の主人であると考えて、自分の思うままに生きていこうとします。けれども、真実にはそうではないと教えるのが御言葉です。しばしば私たちは人生を重荷に感じます。生きることが苦しくなります。それは、本来、神に背負われるべきものを、自分で背負おうとしているからではないでしょうか。神さまを拒み、神さまから離れて生きようとするがゆえに、人生が重荷になっているのではないでしょうか。父なる神さまは、人生の労苦、人生の悩み深さの中から私たちを助け出すために、独り子イエス・キリストを羊飼いとして与えてくださいました。あなたがたは、もはやあなたの人生を、その命を、あなた自身で背負おうとしなくてよいのだとおっしゃってくださいます。神ご自身が私たちの人生を背負ってくださるからです。 ここに信仰の慰めと深い恵みがあるのです。

 
 
 

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