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2025年1月26日 説教要旨

イエスの「焼き印」(「スティグマ」の複数形「スティグマタ」というフレーズがここ一回限りで使われています。これは家畜や奴隷に自分の所有を示す焼き印のことではありません。パウロの身には、キリストのために受けた多くの苦難によって、数々の傷痕が刻まれていたのです。これこそパウロがキリストの使徒であり、キリストの証人であることを雄弁に語っているのです。「40に一つ足りないムチを受けたことが五度、石を投げつけられたことが一度、難破したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました」「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、…しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(2コリント11:24以下) 迫害や試練の中で身に受けたいくつもの傷跡があったに違いありません。

しかし「キリストの十字架だけが誇りである」とするパウロにとって、キリストの十字架は「恵み」(カリス)という一語に尽きるのです。「キリストの恵み、汝に足れり」これはパウロのみならず、「キリストにあって新しく造られた私たち一人ひとり」にも語られているのです。

どのような時代環境、困難さの中を生きようとも、キリスト者は主人であるイエスの愛と恵みの中にあるのです。「慰めは何か」(ハイデルベルク信仰問答問一)に対する答が、私たちは「キリストのものである」ということに通じます。「イエスの焼き印を身に受けた者」に注がれる「きょうだいたちよ、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように」(18節)の祝祷を受けながら新しい一年、新しい一週間を共に歩み続けましょう。

 

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