2024年11月17日 説教要旨
この聖書箇所は、言わば、使徒パウロが記した「クリスマス」の出来事です。クリスマスとは何か、どのようにおきたか、誰がそれをもたらしたか、クリスマスの目的は何であるかが、パウロによって簡潔に語られています。ガラテヤの信徒たちには信仰の動揺がありました。割礼を受けて律法を守るように強く求められ信仰の歩みが分からなくなったのです。パウロは福音の核心であるクリスマスの出来事をもう一度教会に語りかけるのです。「しかし、時が満ちると、神はその御子をお遣わしになった」一回限りの出来事でした。「女から、しかも律法の下に生まれた者」としてお遣わしになりました。ヨセフやマリアの名前が出てきません。飼い葉おけの話もでてきません。クリスマスの目的は、この世を支配する諸霊に奴隷として仕えている人間を救うためです。十字架の死をもって律法の支配下にある私たちを贖い出し、私たちを神の子とするためです。(3:26)
クリスマスでの御子の派遣と洗礼での聖霊の派遣があり、それを根拠にしてはじめて私たちは神さまを「アッバ、父よ」と叫ぶ、祈りと礼拝の生活が成り立つのです。初代教会の礼拝ではこの「アッバ、父よ」という叫びの祈りがあちこちで挙がっていたと言われています。喜びの叫びです。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです」
(ローマ8:14-15) イエス・キリストを信じることで私たちは神の子とされる驚きべき恵みにあずかることができるのです。「しかし時が満ちると」とは、神の時が充満すると、この世の空虚な時、無意味な時はおわり、意味のある希望に満ちた時の充満のなかで生きていくことになるのです。
クリスマスを迎え、改めて主イエスと共に、時満ちた神の恵みの中を新しい年も共に歩んでいきましょう。
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