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2024年9月22日 説教要旨

ここには、全部の人が救われるよう記されている。異邦人全部が救われて、それからイスラエル人が全部救われることになる。論理的に、こうして全人類が救われることになる。では、裁きはどうなるのか。裁きとは、神が救って下さるのに、自分は救われないと思うこと、あの人は救われないと信じること、信じて行動しないこと、更に、受け入れて下さるのに、受け入れないこと、これこそが最大の罪であり、結果は、さばきである。小さな罪は世の中に、沢山ある。神があなたを赦すというのに、受け入れないことが大きな罪。私たちは自分を賢いと考えてはならない。この事実から出発できる、キリスト者であることの力はほかにない。なぜなら、福音自らが、それを侮る者にそのように答え、主イエスご自身が、彼を捨てた者に、そのように答えるから。それ以外の答えは、ただ非福音的・非キリスト教的答えでしかない。選ばれた者が、捨てられた者を助け、捨てられた者が、選ばれた者の荷を担い、捨てられた者も、選ばれた者の受けた憐れみに与ることになる。イスラエルの頑なさにおいても神の栄光が、慈しみの勝利が輝いている。なんと深いことか、神の知恵とその知識の富は。比べて、人間の計画と判断のちっぽけなことか。神は支配される。神の目的は、すべて救いであって、破壊ではない。差別的な表現も見られるが、一読に値する神の知恵なのだ。どれほど深刻な状況に置かれても神の知恵は溢れ出る。

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