2024年9月15日 説教要旨
パウロは福音を「自由」という言葉で表現しています。キリスト・イエスにおいて持っている自由です。同時に、それを「福音の真理」という言葉でも表現しています。ここでは明らかに律法と割礼からの自由です。律法や割礼なしにとは、人間の努力や成果なしに、どんな人にでも当てはまるということです。キリストの十字架にによってのみ、ひたすらな神の恵みによってのみ人は救われる、これが福音の真理です。何かの奴隷になっている人々を開放するのです。罪や死やすべての負い目から、すべての不安や脅かしから人々を解き放つのです。キリストの赦しを生きるとは、キリストに結ばれて、キリストのものとされるという意味でもあります。自分の命が自分のものではなく、キリストのものであるという告白に立つとき、私たちの魂は初めて自由な生き方が可能となります。何かの奴隷となっていないか、という問いは現代の私たちにも適用できます。現実社会のさまざまなストレスがあります。約束事や期待に囲まれています。競争と不安のストレスにさらされています。欲求不満、怒り、将来に対する不安に振り回されます。生きがいや幸せを見いだすことができずにいます。
「あなたはこの世の奴隷になっていませんか」キリスト者の自由を生きているでしょうか。自由に生きるとは、自分の思いのままに生きることとは違います。むしろ主「イエス・キリスト」の御心に生きること、主にならってこの世に仕え奉仕していくことです。
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