2024年8月11日 説教要旨
マルコ福音書の最初は、「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」と始まりますが、福音書の最後で、イエスを知らなかったはずの異邦人「百人隊長」がイエスは神の子であると信仰告白して終わります。十字架のイエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスの最後を見届けながら、「この方はまことに神の子であった」と告白するにいたるのです(15:39)。ナザレ人イエスは「神の子である」というマルコ福音書のテーマが貫かれます。パウロは後に、「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(Ⅰコリント12:3) と語りましたが、この異邦人の百人隊長のうちに御霊の働きが始まったのです。イエスを「ユダヤ人の王」として、あざけり、ののしり、その衣をくじ引きで分けた兵士たちは、この百人隊長の部下であったはずです。しかし百人隊長は、兵士たちの嘲り対するイエスの対応に、真の王としての風格を見て、深く感動したのではないでしょうか。彼はステファノ迫害の現場にいた使徒パウロと似た立場にいます。
神の民であると思われていたイスラエル。しかし、異邦人である百人隊長の信仰告白で、神の救いは、イスラエルだけのものではなくなったということを、私たちは知ることができます。今や、すべての国民がイエス・キリストの十字架によって、イエス・キリストを神の子であると信じ、告白することで、罪から解放されるという、新しい命への道が開かれたのです。十字架の道は、すべての人にとって、新しい道、真理、いのちなのです。私たちの罪の贖いのためにまことに苦しまれ、十字架で苦しみ死なれた主イエスが、復活の主として、わたしたちにも、死の勝利と永遠の命に与らせてくださった、まことの神の子であることをいよいよ深く覚えつつ、これからもこの恵みの道を共に歩んでいきましょう。私たちは、聖書から、神さまという方を日々新たに知らされ、また「神のかたち」である私たち自身も神さまによって日々新たにされていくのです。
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