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2024年6月2日 説教要旨

今日の聖書では、主イエスの「権威」に焦点があります。当時の祭司長、律法学者、長老たちが「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」と主イエスに問います。律法学者たちの権威は書かれた形式的な戒めと教えですが、主イエスは御心に聴き従うことで「神のかたち」と回復し、権威を生きる方となりました。

洗礼を受けた時「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との神の言葉がありました。また、ゲッセマネの園で「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られた生き方が、イエスの「権威」そのものなのです。主イエスの権威とは神ご自身の権威です。主イエスの「権威」とは、人をあるがままで祝福し、かけがえのない「いのち」として取り戻す生き方です。「神のかたち」を回復する生き方です。人はそれぞれ主イエスの「権威」の輝きを受け、その反射によって自分自身を生きていくことができるのです。各自が「神のかたち」として自由に生きるところに真の喜びがあります。神の権威は私たちを自由へと招いてくださいます。ある神学者は聖書のグランドナラティヴを5幕構成の劇の台本になぞらえて説明します。しかし未完のドラマです。役者(教会)は、これまでのストーリー展開を熟知し、さらに劇全体が最後のフィナーレに向かってどのように進んでいくのかを認識した上で、今の場面に最もふさわしいパフォーマンスは何なのかを考え、演じていく必要がある、ということです。そこには唯一の「正解」はありません。

時代に流されずに教育の良心を貫き通して今日に至っている自由学園の創始者、羽仁もと子の生涯を貫いてきたモットー「思想しつつ,生活しつつ、祈りつつ」が想い起されます。自分で考えきるところに自由の喜びがあります。

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