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2024年6月24日 説教要旨


「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と弟子の一人が叫びます(13:1)。ガリラヤの田舎から出てきた弟子たちは、エルサレムの都にそびえる神殿の壮麗さ、美しさに心を奪われていました。これに対する主イエスの答えは「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(13:2)というものでした。つまり、イエスはこの神殿もいつか滅びるもので、これが本当に頼りになるものではない、と言うのです。オリーブ山の上でエルサレム神殿を見ながら語るのが、13章5-37節の長い説教です。目に見えるものではなく、目に見えないもっと確かなものに弟子たちの目を向けさせます。「目を覚ましていなさい」とは、目に見える、滅びゆくものではなく、目に見えない、本当に確かなもの、決して滅びないものに、いつも心を向けていることだと言えるのではないでしょうか。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(31節) 

エルサレム神殿はBC70年頃、ローマ帝国によって破砕されてしまいます。歴史の中に消えてしまいました。しかし、信仰は滅びませんでした。イエスご自身が神殿となり、イエスご自身が教会の礎となりました。イエスご自身が神の言葉そのものとなりました。そして真なるものを、まことの命を、本当の救いを、そして美しさを、いつも、今見ているように「目覚めていること」の大切さを教えてくれます。民芸の創始者である柳宗悦の言葉にも通じます。永遠なる方を形式的にではなく、今、私たちの目前におられる方として、目覚めていきましょう。「今見ヨ イツ見ルモ」


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