2024年5月5日 説教要旨
わたしがこの世に来たのはこの子供たちのように何も出来ない、何も誇るものがない、そういう者を救うためなのだ、そのような者にこそ神の国の門は開かれていると、主が宣言されたのです。私たちには、誇るべきものは何一つないのです。ただ神様の憐れみを、感謝をもって受け取るだけです。神の国の門を開いてくださった主イエスについて行くだけです。 神の国に入るのにふさわしくない者。それは、自分は神の国に入るにふさわしいと考え、自分を誇る者です。自分を誇る者は、詰まる所、主イエスを必要としません。自分で救いに至ることが出来る、自分の努力でできると考えれば、神様の憐れみさえ必要としません。自分は正しい者なのですから、神様がる自分を神の国に入れるのは当然であって、神様に憐れんでもらう必要はないからです。神様が「正しい自分」を神の国に入れるのは、神様として当然のこと。憐れみでも何でもないということです。何という傲慢でしょう。このような者こそ、最も神の国にはふさわしくないのです。 宗教改革者ルターは、最期に「自分は乞食だ。」ただ憐れみを施してもらうしかない乞食。神の乞食。神様の憐れみを受け取るしかない乞食です。神様の憐れみを求め続けるしかない私です。それこそが、子供のように神の国を受け入れる者の姿なのでありましょう。私には何もないのですから、主イエスの言葉に従い、主イエス様の御業に倣い、主イエスについて行くしかありません。そこにこそ、神には何でもできるという奇跡が、神様の憐れみが現れてくるのではないでしょうか。私共の中に光はありません。ただ主イエスこそが光です。この主イエスの光に照らされ、神の国への道を、「主よ、この神の乞食を憐れみ給え」と祈りつつ、共に歩んで参りましょう。
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