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2024年2月18日 説教要旨

主イエス、このお方が見えなくなり、幽霊に見えてしまう、これが弟子たちの鈍い心です。主イエスに強いられて、愛のご命令で乗った舟であることを忘れることも鈍い心です。そして、舟の中で主イエスが不在であるとおびえる事も鈍い心なのです。弟子たちを強いて舟に乗せた主イエスは、どこにおられるのでしょうか。主イエス は群衆を解散させて、祈るために山へ行かれたと記されています。舟に乗せられた弟子たちは、祈るために山に行くことを伝えられていたかどうかわかりません。しかし、私たち教会は、この御言葉を通して、鈍い心を研ぎ澄ませる事が出来るのです。教会がこの世の激しい嵐や風によってこぎ進めることが出来ない時、叫びたくなるとき、命の危険を感じるとき、教会は救い主イエスを見いだすことが出来るのです。礼拝堂玄関にある祈るキリストの聖画をご覧ください。大きな岩の上にキリストが両手を組んで天を見上げて跪き祈る姿勢が描かれています。主イエスは 12弟子を選ぶときも徹夜の祈りをささげました。十字架に進む直前まで祈られました。本日の聖句においても山で祈られています。私たちの教会も、私たちの力ではなくキリストの祈りに支えられているのです。私たちの鈍い心は、祈るキリストを思い起こすたびに研ぎ澄まされていくのです。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないよう に祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)主の祈りに私たちも倣っていきましょう。

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