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2025年4月27日 説教要旨
- aomori1879
- 3 日前
- 読了時間: 2分
銀座教会のある有名な牧師の説教に「教会は偽善者をつくる所」であるという内容があります。アイロニカルな表現です。偽善者とは役者のことで、人の前で演技をすることです。人によく評価されることを期待しながら懸命に演じるのでしょう。わたしたちクリスチャンは「善行」を勧められていながらも、わざわざ演技をする必要がないのです。御前に真実な生き方をしていくだけです。
「施し」「祈り」「断食」という当時の宗教的な善行について主イエスが警告されていることをよく心に刻むことが大切です。なぜなら人間は偽善者的になる誘惑・試練に常にさらされているからです。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない、と言われます。どういう意味でしょうか。最後の審判の時のたとえの中で正しい人が「主よ、いつわたしたちはたちは…のことをしましたか」と尋ね返しています(マタイ 25:37)。彼らは困った人に食物を与えたり、旅人をもてなしたり、病人を訪問したことを覚えていなかったのです。それは 善行している自分を意識する余裕などないほどに相手に集中していたのです。そのような隠れたことを主なる神は見ておられたのです。施しの時、祈る時も、断食の時も、隠れたところにおられる父なる神が見ておられ、聞かれるのです。そして報いてくださるのです。どのような報い(ご褒美)でしょうか。「聖霊の賜物」です。かつて「神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」異邦人コルネリウスが豊かにうけた聖霊の注ぎです。(使徒10章)「知恵と啓示との霊」(エフェソ1:17)をご褒美にくださるのです。
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