2024年12月29日 説教要旨
- aomori1879
- 2024年12月31日
- 読了時間: 2分
律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされる。何という大胆な宣言でしょうか。キリスト教は愛の宗教です。しかし、普段、私たちが信仰を考えるとき、自分の信仰の「正しさ」をまず先に考えてしまいます。「愛する」という観点は二の次、三の次になっているか、下手をすれば、取り除かれてしまうことがないでしょうか。教会の中でも、いつの間にか、信仰の「正しさ」の方が優先されてしまう危険性があります。信仰を土台にして、奉仕、献金、伝道、会堂建設などを計画します。しかし、それら一つ一つが、命令や義務として求められてしまう時、自由を失った律法主義になってしまわないでしょうか。教会で、奉仕していないと、何となく教会員としてふさわしくないような感じがしたり、教会で、伝道していないと、何となく劣っている信徒のような気がしたり、教会で何もしていないと、何となく居場所がないかのようになっていませんか。誤解を恐れずにいえば、私たちは「正しい」クリスチャンになる必要はありません。むしろ愛の人になりたいものです。
この一年間、多くの方々の愛に支えられました。心より感謝いたします。新年もキリストに少しでも似る「愛の人」に憧れ、目指したいです。事務室に武者小路実篤の詩が掲げられています。「愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる それは実に美しい事だ」
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