2024年12月1日 説教要旨
- aomori1879
- 2024年12月5日
- 読了時間: 2分
パウロは、ガラテヤの信徒たちのもとで、福音を告げ知らせた、かつての幸福な日々について記します。「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです」(4:12-16)
私たちクリスチャンにとっての幸福とはなんでしょうか。この世的な豊かさや成功ではないでしょう。他の人から何かをいただくことでもないでしょう。むしろ自分のものを与えること、ささげること、自分の最も大切なものをその人のために注ぎ出すことではないでしょうか。利他的な行いであり、さらに主イエスのご栄光のために自分をささげることではないでしょうか。それは最も美しいことであり、最も尊いことであり、神さまが喜ばれることではないでしょうか。私たちにとって必要なことはただ一つ、この貧しい器が神さまにどのように用いられるかを日々考え、試みることではないでしょうか。ガラテヤの信徒たちは主イエスの福音を受け入れたとき、すべての人がこの幸福にあずかったのです。主の愛がなければ、この世はすべてむなしいことを悟ったのです。主の愛に生きることが最大の幸福であることを理解できたのです。
パウロはかつて福音を受け入れたガラテヤの信徒たちの変貌を懐かしがっているのです。
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