2024年12月15日 説教要旨
- aomori1879
- 2024年12月15日
- 読了時間: 2分
パウロは、1節で「自由」(名詞)と「自由にする」(動詞)を用いて、キリストが自由を与えてくださったことを強調し、この驚くべき恵みである自由を失わないようにと勧めています。ところで、キリストが与えてくださった自由とはどのようなものでしょうか。一つは、神に受け入れられるためには律法を守らなければならない(しかし、守れない現実を抱えている)という苦悩から解放されるということです。もう一つは罪が赦されて罪責感から解放されるということです。さらには、聖い神の前におそれることなく自由に近づくことができるということでしょう。「自由」とは何ものにも束縛されない、人間の自存の状態というのではありません。「神(御父)が、私たちを暗闇の中から救い出して、その愛する御子のご支配の中に移してくださった」(コロサイ1:13)という事実による自由、とりわけ、ガラテヤ書においては(ローマ書も含めて)、律法からの解放ということなのです。「あなたがたをかき乱す者たち」(5:12)とは、割礼を受けて律法を遵守することが神の民の一員になる必須条件として理解し自分たちの律法を他人(異邦人)に押し付けようとしました。しかし、キリストを信じさえすれば救われる、神の前に義とされるのが福音の根本なのです。それは実感するしないは関係なく、そのような存在(天的な存在、天に国籍を持つ存在、自由を得る存在)となるのです。恵みによってキリストを着る者とされるからです。
私たちはこの世的な多くのカルト宗教とも全く違います。キリスト者は「自由な主人」であると同時に、「仕えるしもべ」であること(マルチン・ルター)もこの自由の福音から由来しています。「奴隷のくびき」につながれ、恐れと不安・心配にとりつかれる生活ではなく、自由の喜びと感謝にみちる生活へとかえられるのがキリスト者です。これからもキリスト者の自由にかたくたつ信仰をわかちあっていきましょう。
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