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2024年11月24日 説教要旨

パウロはガラテヤ教会の信徒たちの信仰のありかたについて心配しています。十字架の福音を受け入れる前の状態、つまり「この世の諸霊」の下に逆戻りするのかという心配です。この状態は日本のことを考えてもわかるのではないでしょうか。多くの人は無宗教、無神論です。だからと言って、その人たちは、どんな神も信じることなく生きているのでしょうか。神とは呼ばれなくても、神に近い存在を自分で拵えて信じようとしたり、生きるために、自分の力として、頼みとする存在です。神々と言うのは文字通り、宗教上の神々だけのことではないのです。お金、財産、社会的な地位であったり、人からの評判だったり、自分の能力や力…そうしたものです。自分は無神論で何も信じていないと言う人でも、そのような対象をを神のように頼みとしているということはいくらでもあるのではないでしょうか。そのようなものの「奴隷になっている」という指摘です。ですから「神々を信じる」とは言わないで、「奴隷になっている」と言われています。それは生き生きと生かされているのではなくて、ビクビク恐れてしまっていることを意味しています。そうしたものがわたしたちの周りに神々と言われるようにたくさんあるのではないでしょうか。そのような神々は、わたしたちに恐れや不安しかもたらしません。そこには愛の関係はなく、それは恐怖の関係しかない。そこに本当の平安は生まれないのです。

 今日は収穫感謝日です。一年の恵みを神さまに感謝し、また新しい一年を期待をもって待ち望みます。神さまへの信頼と心からの愛によって、そのような関係が成り立つのです。一年間を顧みアドベントから始まる新年を共に仰ぎ望みましょう。

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