top of page

2024年10月13日 説教要旨

「ただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、罪人である私たちが義とされ、救われる」ということを誤解してはなりません。「イエス・キリストを信じる信仰」が救われるための条件だ、ということではないのです。16節「イエス・キリストを信じる信仰によって」は、新しく出た聖書協会共同訳において、16節は「しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って‥」と訳されています。20節後半も「私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです」となっています。「信仰」と訳されていた言葉がいずれも「真実」となっているのです。この言葉にはどちらの意味もあります。「相手に対してどこまでも誠実であること」というような意味です。それを「信仰」と捉えれば、キリスト(神の子)を信じる私たちの信仰、という意味になるし、「真実」と捉えれば、キリスト(神の子)が私たちを徹底的に愛して下さり、救いの約束を実現して下さることを意味することになります。私たちの救いは、私たちがキリスト(神の子)に対してどこまでも誠実であることによって得られるのではなくて、「わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子」によって与えられているのです。つまり「イエス・キリストの真実」こそが私たちを救って下さっているのです。神の子イエス・キリストが罪人である私のために身を献げて下さり、十字架にかかって死んで下さった、そのキリストの真実、神の愛こそが私たちを救うのです。私たちはその救いを信じて受け入れ、洗礼を受けることによって、神による救いにあずかり、神の愛、恵みの中を生きていくのです。その神の恵みを無にすることはできません。

Comments


カテゴリー
最新記事
アーカイブ
bottom of page