2023年9月3日 説教要旨
- aomori1879
- 2023年9月3日
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救い主が来られる前に、主のために道を整える者、預言者エリヤが再来すると旧約時代のマラキやイザヤたちは預言しています。福音書記者マルコは、正にその人物が洗礼者ヨハネだと紹介し、洗礼者ヨハネを6節でこう描写しています。「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(列王下1:8参照)このようなヨハネの生活様式に注目しましょう。イエスの時代のユダヤ社会は、端的に言えば超格差社会でした。多くの民衆は四割強、ひどい場合は七割近い税負担にあえいでいました。その一方で、エルサレム神殿にいる大祭司や貴族たちは富を独占していました。貧しい農民たちに貸し出しを行い、彼らが借金を返済できない場合は土地を取り上げて大地主になっていきました。そのような祭司階級や貴族たちへの痛烈な批判はマラキ書に顕著に見られます。
救世主の到来の前に、洗礼者ヨハネは現代の私たちクリスチャンに対しても「あなたの信仰は本物ですか?あなたは自分が救われていると信じ込んでいるが、あなたの生き方はあなたの信仰が本物であることを証明しているのですか。あなたの救いは確かではないかもしれない。自分を吟味しなさい」と問いかけているのではないでしょうか。いやクリスチャンか否かにかかわらず、21世紀の私たちの消費生活はあまりにも贅沢、腐敗した内容になっているのではないか。すでに地球の資源を貪り尽くしてしまったではないか。先進国と最貧国の格差はどうなったのか。創造主の御前で平等と正義はどこへ行ってしまったのか。偽りの平和にいつまで甘んじているのか。このような荒野で叫ぶ声を私たちは聞かねばなりません。「悔い改め」はどのようにもたらされるのでしょうか。私たちに何ができるのでしょうか。まず、御前にへりくだり、救い主を仰ぎ見ましょう。
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