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2023年9月10日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年9月14日
  • 読了時間: 2分

マルコ福音書にはベツレヘムも、博士も、羊飼いも、系図も出てきません。父ヨセフも登場しません。マルコ福音書は、イエス様がどのような経緯で生まれたのか、クリスマス物語をまったく伝えていないのです。マルコが唯一、イエス様の出生に関する記載をしている点は、イエス様がガリラヤのナザレ出身だったということです。ガリラヤは中心地エルサレムや、ベツレヘムとは違う、農村地帯です。そしてその中でもナザレは小さな村です。マルコ福音書によればイエス様は無名の町でひっそりと生まれ、この世に遣わされてやって来たのです。よく比較するとどの福音書にも一貫している共通点があります。ベツレヘムだろうと、羊飼いだろうと、あるいはナザレであろうと変わらない意味、共通点があります。それは救い主イエス・キリストが、弱い群れの中に、貧しくされた小さい群れの中に、中心から外れた場所に生まれたということです。人々の期待する場所とは違う場所に生まれたということです。マルコはそれを、イエス様が「ガリラヤのナザレから来た」という言葉で表しているのです。当時の多くの貧しき人々の中で、この世の低きところに生まれた「神の子」なのです。イエス様は、悔い改め(メタノイア)の洗礼をお受けになります。私たちすべての人間と同じ罪人の中で、悔い改めをする、メタノイアする、理解や判断を変えるということです。見る視点を変えていくということです。悔い改めとは今までの人間(罪人)である自分の見方を変えてみるということです。神の国の視点、主の視点に変えてみる決断の悔い改めです。この世界と現実が貧しい者からはどう見えるのか。イエス様がロールモデルになり、私たちもそのイエス様に従うことで、主の御心にかなう者とされていくのです。

 
 
 

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