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2023年6月11日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年6月14日
  • 読了時間: 2分

宗教改革時代のルターが「藁(わら)の書」と呼んだヤコブの手紙をこれから学んでいきます。この手紙には十字架とか復活とか、血潮といったキリスト教の基礎的な事実が何一つ書かれていませし、イエス・キリストの名も2回しか出てきません。しかしこの手紙は、むしろそうした教理的なことを前提としながらも、むしろこの世においてキリスト者として生きる実際的な知恵について書かれているのです。つまりすでに信仰によって救われた者がいかに成長し、どのように実際つまりすでに信仰によって救われた者がいかに成長し、実際的な生き方を身に着けるか、その実際的な知恵について書かれたものだとすれば、この手紙は価値のあるすばらしい書だと言えます。どのようにして信仰的な生き方を身に着けるか、その「行い」の知恵について書かれたものです。信仰義認を強調するルターには都合が悪かったこの手紙は、私たちの信仰の成長にとって価値のあるすばらしい書だと言えますす。私たちにいのちを与えられた神さまは、この世に生き続ける限り、ずっと成長し続けることを望んでおられるのです。「試練に会うとき、それをこの上もない喜びと思う」というのは、逆転の発想です。普通では喜べるはずがありません。理性や感情は反発します。苦しいことを喜べというのは不自然です。しかし聖書はそれがもたらす効用について語っています。

 信仰者といえども、「さまざまな試練」があるのです。健康面での試練、経済的な面での試練、人間関係での試練、能力的な面での試練など・・人の目に明らかな試練もあれば、だれにも分かってもらえないような試練もあります。そのような試練を喜びと受けとめることができるためには、上からの知恵を必要とします。こうした知恵を、「だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい」と勧めています(マタイ7:7)同じ主を信じる兄弟姉妹が試練に見舞われた時、先に試練を受けた者として深く共感し、兄弟姉妹のためにとりなしの祈りをする、進んでその重荷の一端を担っていこうとします。そのような成熟した信仰者を「完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人」と、ここで勧められているのではないでしょうか。

 
 
 

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