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2023年4月2日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年4月4日
  • 読了時間: 2分

主イエスは都エルサレムに、「イスラエルの王」として入城されます。しかしなぜ、主イエスはこの世の王のように、白馬に乗った勝利の戦士として入城されなかったのでしょうか。何の装飾もないロバに乗って、しかも家畜の中でもまだ、一人前に仕事もできない、頸木にかけられたロバの子に乗って入城されたのでしょうか。これは一見すると、恥ずかしい貧困の象徴のようにも見えます。そして、王を賛美しながら迎え入れたのは誰だったでしょうか。確かに大勢の群衆が、信実な賛美と喜びとをもって王を迎え入れましたが、彼らはエルサレムに住む比較的富裕層の人々ではなく、主にガリラヤ方面の村から出て来た人々でした。つまり、貧しくて、教養がなく、エルサレムの人々からは蔑視されるような民衆でした。そのような人々からの讃美をお受けになったのです。主イエスはわざわざ、過ぎ越しのために集まってきた全ての人々の前で、卑しい王として、嘲られ、からかわれ、笑いの種になろうとしてエルサレムに入城したようにも見えるのです。なぜこのような形で入城されたのか、群衆をはじめ、弟子たちにも、その本当の意味は理解されませんでした。しかし、実は、この理解し難い、不思議なエルサレム入城にこそ、神の国の本質が隠されているのです。第一に、預言者の言葉を信じ、ひたすら待望しつつ、日々、そこに希望を抱いて生きていた者だけが、主イエスのエルサレム入城の光景を理解することが出来ました。第二に、父なる神は、御子を壮麗な姿と、この世のあらゆる贅沢と権力の服をまとわせて、入城されるより、むしろ、乞食のような哀れな姿に装わせても、柔和で平和な「神の国」の本質を知らしめようとされました。神の国とは、この世の富や地位や権力などによって築かれるのではありません。ただ神の御国をもたらす真の王であられる主イエスの恵みによってです。平和の救い主に対する信頼によってのみもたらされます。

神の国は、柔和で貧しい者たちの国であり、ただ神にしか、望みを置く以外にない者たちの国なのです。主の誕生の場面(マタイ2章)や山上の説教(マタイ5章)を参照しましょう。

 
 
 

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