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2023年3月19日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年3月19日
  • 読了時間: 2分

協会共同訳では冒頭の1節が「主は私の羊飼い」と私が付きました。羊飼いである「主」と「私」との親密な関係がさらに明確に表現されます。これがマタイ福音書の「見失った羊のたとえ」(18:12以下)やヨハネ福音書に語られる良い羊飼いと羊との関係にも反映します。良い羊飼いは羊のために命を捨てるのです。

詩篇全体を見るときに嘆きの歌という種類の詩篇があります。この23編は、その嘆きの歌の後、信仰の目が開かれて、祈られた信頼の歌だろうといわれています。嘆きの歌には「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか。なぜ、遠く離れているのですか?」(22編)という絶望的なうめきの後に、詩人の霊(信仰)の目が開かれて、「たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたが私と共におられるから」という信頼へと至ります。詩篇23編を歌いました詩人は、これまで「主よ」と呼んでいたのですが、ここで急に「あなた」と2人称で、直接呼びかけます。ここまでは、3人称で、信仰を描写して告白していたのですが、2人称で語ります。「あなた」に祈り始めます。「あなた」に直接語りかけ始めます。死の陰の谷を歩むときですら、私達は、神さまに直接「あなた」と呼びかけていくことができるのです。何という恵みでしょうか。共におられる主をあなたと呼ぶのは何という愛の関係でしょうか。聖書はいたるところでこの愛の関係を語り続けています。

まさしく聖書は神さまのラブレターなのです。(キルケゴール)

 
 
 

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