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2022年8月14日説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年8月13日
  • 読了時間: 2分

十字架に掛けられる前日、主イエスは弟子たちに次のように言われました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネ14:27)。「わたしの」平和、主イエス特製の平和であり、それを、この世が与えるような仕方では与えない、と言われます。一体それは、どんな「平和」シャロームなのでしょうか?シャロームには幅広い意味がありますが、国と国の平和のみならず、人間個人の繁栄、成功、健康、福利厚生が含まれます。こうしたもの全てが「この世が与えるような仕方で」与えられると言う時、「この世」がこれらのものを与える主体です。つまり、これらの望ましいものは、「この世」から得られるものとなり、別の言い方をすれば、人間が自分の力で獲得するものです。

今、世界中の人々が、地上に戦争がないこと、平和に生活することを願っています。いつの時代でも世界の平和は私たち人類の心からの願いです。しかし、主イエスがここでお語りになっている平和は、そういう形としての、現象としての平和ではありません。主イエスはこの後十字架の道に進んでいかれますが、主の十字架は、わたしたちの罪の赦しのためです。罪の赦しは、神との和解を意味します。主イエスはここで、「わたしと神との間の平和」を問題にしておられるのです。聖霊が私たちに与えられるのは、わたしたちに神の言葉、十字架による救いの意味を理解させ、私たちが救いへと入れられ、神との正しい関係に入れるためであり、それが聖霊の目的です。この世的な平和も、主の根源的な平和の上に築かれる必要があります。そうでなければすべてが無に帰します。これまでの歴史がそれを証明しています。最後の時まで、諦めることなく、神の国、平和シャロームを祈り続けなければなりません。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:33)

 
 
 

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