2022年9月4日 説教要旨
- aomori1879
- 2022年9月4日
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モーセがネボ山に登ったことも、そこから約束の地を見渡せたことも、またそこで死ぬことも、すべて「主の命令」によることでした。モーセの一生は、主の御心に聞き従う生涯でした。神の意志をイスラエルに伝達する預言者として、神の言葉を取り次ぎ、それを明らかにする最高の預言者でした。神さまとの関係は「顔と顔を合わせる」ようなとても親密なものでした。だからこそ、そのモーセが主の命令によって死ぬことは、主の僕としてもっとも相応しい、光栄な死であります。老衰で死んだのではありません。120歳ですが、目はかすまず、活力もうせてはいませんでした。生涯現役で働いたモーセは御心によって召されたのです。モーセが主から託されたその任務は、後継者であるヨシュアに受け継がれます。
私たちも生涯現役で最後まで主に仕え働きたいと願うのではないでしょうか。そのような生き方が、最も生きがいのある幸せな生き方ではないでしょうか。「終活」ではなく「老活」こそが人生100年の現代においてもっとも望まれる課題でしょう。ぜひモーセに倣いたいと思います。最後まで神さまとの親しい関係をもって御心に従い生き抜きましょう。どんなに小さなことにでも、そこに御心を見いだせば、後はすべてを神さまにゆだね使命感をもって実践しましょう。私たちクリスチャンは老衰や病で亡くなるのではなく、最後まで主に仕え、主のふところに召されるのです。人の「寿命」とはそのことを言い表します。
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