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2022年8月7日説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年8月7日
  • 読了時間: 2分

ルカによる福音書15章には3つのたとえ話があります。話は3つですが、主題はひとつで、「失われたものを熱心に訪ね求める神」であります。「失われたもの」が主人公ではなく、「愛するものを失った神さま」「大切にしていたものを失った神さま」が主人公なのです。「放蕩息子」は父親から分けてもらった全ての財産を使い果たした結果、自由を得て幸せになるどころか、貧困と飢えと恥じと屈辱の生活を余儀なくされたのです。「人間らしい生活」からはほど遠い生活を送らなければならなくなったのです。「放蕩息子」は父親から分けてもらった全ての財産を使い果たした結果、自由を得て幸せになるどころか、貧困と飢えと恥じと屈辱の生活を余儀なくされたのです。「人間らしい生活」からはほど遠い生活を送らなければならなくなったのです。もう一人の「失われた息子」の話が付け加えられているのです。父親と、なに不自由無く、常に共に生活をしてきた兄息子です。兄息子は畑から帰ってきたとき、家の中から音楽や踊りのざわめきが聞こえてきたので不審に思いました。それが、弟の歓迎晩餐会であることが分かった時、非常に怒りました。家の中に入ろうとしませんでした。父親が出て来て兄息子をなだめましたが、素直に家の中に入ろうとしません。弟の過去を問題にし、自分の父親に対する忠誠心と比較して、弟を批判し裁いています。兄息子は自分を「義人」とし、弟を「罪人」と決め付けています。さらに、「罪人」の弟を迎え入れた父親を批判し非難しているのです。この兄息子も「父から離れている」という点では、弟息子と同じであります。

神さまが私たちに求められているのは、「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れむ深い者となりなさい」(ルカ6:36)神さまが罪人たちを赦すように、あなたも罪人たちを赦しなさい。神さまが罪人たちを家に歓迎するように、あなたもそうすべききです。神さまが憐れみ深い方であるように、あなたも憐れむ深くありなさい。私たちがそのような者になるように、今日、この教会に招かれているのではないでしょうか。。

 
 
 

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