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2022年8月21日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年8月21日
  • 読了時間: 2分

預言者アモスは、国家宗教となった北イスラエルの神殿祭儀を激しく攻撃しました。「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。焼き尽くす献げ物をささげても、穀物の献げ物をささげても、わたしは受け入れず、肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(5:21-24)。旧約の中で最も激しい宗教批判が語られています。「香りも喜ばない」、「献げ物を捧げても、受け入れない」、「肥えた動物を捧げても、顧みない」、「竪琴の音も聞かない」。神が鼻をつまみ、口を閉ざし、耳を塞いでいる姿です。神が五感をすべて閉ざして、全身で人間側の礼拝を拒否しています。なぜでしょうか?こ


こでの正義はヘブル語で「ミシュバート」むしろ公道、審きとも訳されますが、法的な判決を含む法の正義や社会的公平・公正といった意味合いです。恵みの業「ツェダーカー」は神の正義と訳されることが多いのです。聖書協会訳を参考にしてください。

神の公道と正義が踏みにじられているのに、何が礼拝だというアモスの鋭い指摘です。社会が一見繫栄しているように見えても、不正と腐敗と格差、差別などが横行し、人々の人権がないがしろにされていました。神の国の平和シャロームとはかけ離れています。そのような状況でいくら敬虔さを装っていても無駄である、偽善であると断言しているのです。主イエスの神殿粛清にも重なります。経済的な繁栄や権力者、富裕層のいいなりにごまかされてはいけないのです。


「わたしを求めよ、そして生きよ」(5:4)アモスの叫びは、現代の私たちの心にも強く響くのではないでしょうか。

 
 
 

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