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2022年7月10日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年7月13日
  • 読了時間: 2分

ある旅行者がパレスチナを旅行中のこと、一人の羊飼いと羊の群れと出会った。彼が羊飼いと話していると、羊飼いは指さして、「羊の門はここです」と教えてくれた。四方を囲ってあって、一か所だけ入り口が開いていた。旅行者が「羊は夜、ここから入るのですか」と尋ねると、羊飼いは、「そうです。羊はここから入ります。囲いの中にいる間は安全です」と答えた。しかし、良く見ると、その入口には扉がない。それで、どうして安全なのかと尋ねると、羊飼いは、「わたしがその扉です」と答え、さらに「夜が訪れて、羊が全部囲いの中に入ると、入口の所に私が横になって寝るのです」と答えたというのである。「羊が外を出ようとすると、私の体の上を越えなければならないし、狼が来ても私の体を乗り越えていかなければ入れないわけで、必ず私がむっくり起き上がってしまう。だから私が扉です」。羊飼いは羊の生ける扉であり、生ける門である。キリストも私たちにとっての門であり門番です。わたしのような罪深い者は救われないだろうとか、今さら信じても救われないだろうとか、そういうことはありません。キリストを通って入るなら、誰でも救われます。キリストという門戸はすべての人に開かれています。キリストの十字架は羊の門なのです。イスラエルのように降雨日数が少ない地域では、牧草を見つけるのに大変難儀します。牧草がいつもそこにあるのではありません。羊飼いは牧草があるところまで導きます。キリストを信じる者には、詩編23編にあるように「主は私の羊飼い。私には、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」が実現するのです。私たち羊が食べる「牧草」は「命」のシンボルです。

真の羊飼いを見分けましょう。そして私たちは、御言葉の門を通り、まことの命の喜びにあずかりましょう。

 
 
 

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