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2022年11月20日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年11月22日
  • 読了時間: 2分

主イエスは「ポンテオ・ピラトによって」苦しみを受けたのではないのです。悪魔のようなポンテオ・ピラトによって、十字架につけられ苦しんだのではなく、「ポンテオ・ピラトあくのもとで」苦しみを受けられたのです。ピラトのもとに、何があるのでしょうか?時のユダヤの権力者たち、祭司長、律法学者、普通の民衆たちもふくまれます。そしてローマの政治的な社会構造があります。ピラトは、イエスには死刑に価するような罪を犯していないことはよくわかっていたのです。イエスを無罪放免しようとしました。しかし、民衆がこのままイエスを殺せと、叫び続けて暴動になったら、統治者としての責任が問われ、自分の身が危なくなります。だからこそ、無罪と知りながら、ピラトは自己保身のために、彼らの要求を入れる決定を下したのです。イエスを彼らに引き渡して、好きなようにさせたのです。こうして、旧約聖書に書かれていた言葉が実現しました。キリストは、「軽蔑され、見捨てられ」たのです。主イエスは公生涯の間、絶えず人々の無理解と無関心、いわばまことの神を神と拝めようとしないすべての人々の罪の姿によって苦しめられ、迫害に会われたのではないでしょうか。主イエスが語る神の国は受け入れられなかったのです。多くのファリサイ派の良識家たちは、自分たちこそ正しい信仰であると自らの信仰に固執していました。政治的な権力者は自己保全と自らの権力にしがみついていました。ユダヤ人や異邦人たち、民衆は時代や社会の雰囲気にそのまま流されていました。主の公生涯は苦しみと悲しみの生涯であったとも言えます。

いや、今日においても、キリストの平和、神の国はこの世のもとで受け入れられていないのです。(「剣を取る者は皆、剣で滅びる」という真理、「剣を打ち直してすきとする」主の平和)この世のもとで、苦しめられているのではないでしょうか。

 
 
 

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