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2022年10月9日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年10月14日
  • 読了時間: 2分

使徒信条の第二項は「我はイエス・キリストを信じる」であり、この方が信仰の対象であり目的でもあるのです。「父のふところにいる独り子である神」(1:18)と告白されています。ひとり子なる主イエスは、父なる神と本質を同じくする神であるということです。人間から生まれた子が人間であるように、神からお生まれになった神のみ子イエス・キリストは神であられます。その関係はいつから始まったのでしょうか。永遠の昔からです。父なる神が永遠の昔からおられたように、み子もまた永遠の昔から父なる神と共におられました。ヨハネ福音書1章1節以下で、神のみ子が「言(ことば)」(ギリシャ語ではロゴス)と言われています。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった、と記されている通りです。また主イエス・キリストだけが神の子どもであり、ほかにはだれ一人神の子である者は存在しない、神と本質を同じくする者はいないということです。神さまはご自身のひとり子である主イエス・キリストによって、ご自身がどのような神であられるのかを最も完全に啓示されました。神のひとり子であられ、人となってこの世においでになられた主イエス・キリストによって、彼の地上でのご生涯と、お語りになったみ言葉、みわざによって、特にそのご受難と十字架の死と復活によって、神とはどのようなお方であるのか、神がわたしたち人間をどのように愛しておられるか、そしてわたしたち人間を罪から救うためにどのような救いのみわざをなされたのかを、最もはっきりと知らされ、私たちが今でも信じることができるようにされているのです。

神はご自身の最愛のみ子を、ご自身の命そのものであるひとり子なる主イエス・キリストを、わたしたちを罪から救うために、十字架の死に引き渡されました。わたしたちはこれほどに大きな神の愛によって愛されているのです。これほどの大きな愛によって、罪から救われているのです。わたしたちが「神のひとり子イエス・キリスト」と告白する時、このような救い主をわたしの主と信じ告白するのであり、この信仰によって救いにあずかるのです。

 
 
 

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