2022年10月30日 説教要旨
- aomori1879
- 2022年10月31日
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聖霊によりてやどり」この言葉が主イエス・キリストの地上のご生涯の最初に置かれており、主イエスが聖霊の御力の中で地上の歩みを始められ、聖霊の御力の中でその生涯を歩み抜かれたことを意味しています。たとえば、主イエスは公生涯の初めに荒れ野で悪魔からの誘惑を受けられました。しかし「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され」(ルカ4:1)とあり、主イエスは聖霊の御力に守られて、誘惑と戦い、悪魔をしりぞけられました。誘惑に打ち勝つとは、主イエスにとっても聖霊の御力によってにほかなりません。
すなわち、神の御子であり、独り子なる神であるお方さえ、地上に生まれ、地上を歩まれるに際して、聖霊に満たされ、聖霊に導かれることが必要でした。罪人である私たちは、まして聖霊を必要としている、聖霊に満たされ、聖霊に導かれることを必要とする者にほかなりません。まことの神であられ、まもとの人であられた主イエスであるからこそその方ご自身が福音となられました。信仰によって、誰でもいつの時代でも、キリストに結ばれ、聖霊を与えられて、私たちも新しく生まれることができるのではないでしょうか。この世の私たちも聖霊に満たされ、聖霊に導かれて歩むという希望が与えられているのではないでしょうか。聖霊は、私たちの内に住み、私たちを造り変えて、私たちを引き立ててくださいます。聖霊はひそかに働いて、私たちを、神を信じて従う、まったく新しい存在者としてくださいます。これが変わらざる福音です。聖霊は、信仰を与えるだけでなく、私たちを成長させてくださいます。使徒パウロは、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22)と語りました。
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